こんにちは、田村です。
長崎サイクリングもあっという間に
五日目に突入。
橘湾を挟んで島原半島と対をなすような
長崎半島をめぐりました。
愛野から茂木、野母崎を経て
造船の町である香焼まで。距離は約90km。
しかし、ずいぶんと疲弊した1日でした。
愛野から東、長崎市街へ向かう国道251号は、
ところどころが直線的に改良されており、
自転車的には意味がないと思える坂が連続。
朝の通勤時間ということもあって交通量が多く、
たまらず海寄りの県道へ退避。
途端にアップダウンが増えるものの、静かで見晴らしいがよい道が続きます。
川下という集落にさしかかると
「従軍之碑」がありました。
九州や四国では、こうした碑が目立つところに
建っているのをよく見かけます。
なんとはなしに銘板を見たら、
日露戦争での死者1名に対して、
「大東亜戦争」においては死者100名以上……。
刻まれた名前は、半分くらい名字が「川下」さん。
小さな入り江を囲む小さな集落だけで
こんな大勢の人が戦死されたのかと思うと、
畏くも暗澹たる気持ちにさせられます。
この日は雲があつく、どんより曇ってます。
二日目に通った日見峠下の国道をかすめ、
長崎半島の東岸を南下。
外周部が平坦だった島原半島とは一変して、
小刻みなアップダウンが連続。
こういうのが、けっこうきつい。
あとでログを見るとこんな感じの標高プロフィール。
最高でも標高は250mなので、たいしたことはないのですが、
峠のようなメリハリがないので、「また上りか」と萎えました。
要は気の持ちようなんですけどね……。
急斜面のだんだん畑。まるで城郭。
天草への航路がある茂木港。
長崎港が表玄関だとしたら、
茂木港は勝手口といった感じでしょうか。
上っては下り、下っては上り……。
沿岸部はすみずみまで農地化され、
琵琶などが多いようです。
集落の家々がとても立派。しかし人影はなく、
どこまでも静か。
先端の野母崎が近づくと、標高250mまで上昇。
そのピークの少し手前に、自転車道の入り口がありました。
こんな高い地点にあり、しかも半島の
尾根筋を縫う手強そうな自転車道を作るとは、
男前すぎておそれいります。
長崎県唯一の大規模自転車道らしいですが、
どうしてここに通そうと思ったのか……。
この日はどうも元気がでません。
五日目でいい加減疲労がたまっているのかも
しれませんが、お目当てとなるような
テーマ性が希薄だったのも理由だった気がします。
全線にわたって景観は悪くないものの、
これといった見所もありません。
天気がどんより曇りなのも、
心身が冴えない理由かもしれません……。
やっと野母崎が見えてきました。
もうこれで十分。先端には展望公園があるらしいですが、
そこまで足を延ばす気力がわかず、
国道に入ってUターンするように
長崎半島の西岸を北上していきます。
このあたりは恐竜の化石が出るそうです。
新し目の博物館がありましたが、
外観を拝んだだけで素通り。すでに14時をまわりつつも
まだ宿を決めてないこともあって
落ち着きません。
コンビニで休憩するたびに
スマホで宿を検索するも、空きが見当たりません。
あれだけホテルが多い長崎市街ですら、
ネットはもちろん、電話しても「満室です」という
答えばかり。うーむ。
軍艦島(端島)が見えてきました。
このへんにあると地図で知ってましたが、
実際に見えると興味深いものです。
炭鉱が華やかし頃は、この小さな島に
5000人以上が暮らしていたとか。
戦艦「土佐」に似ていることから
軍艦島と呼ばれたそうです。右側(北側)が
わりと平らに見えるので、戦艦というよりは
航空機の格納庫を備えた航空巡洋艦「最上」や
近年の護衛艦のようにも見えます。
広さは東京ドームの1.4倍だそうです。
夫婦岩から望む軍艦島。
さて、いい加減に宿を決めなければ
路頭に迷ってしまいます。
長崎市街はあきらめて、その手前あたりで探すと、
香焼という造船の街に何件か民宿がみつかりました。
そのうち一件に、ようやく空きがありました。
三菱重工の大きな工場を抜けていくと
いかにもガテン系の民宿が現れました。
部屋からの眺め。
館内の共用スペース。エアロバイクが鎮座。見かけた宿泊者の多くがツナギを着た外国人。工員なのでしょう。
部屋にも浴室にもタオルがなかったので、宿の方に尋ねたら、民宿だからタオルないんですよ、 といわれて軽く戸惑いましたが、
手持ちの手ぬぐいで入浴を済ませ、
とっとと寝ました。
翌朝は6時30分から食堂で朝食。
うーむ。
席に着いたら焼き魚くらい出るのかと思いましたが、
正真正銘これだけ。海苔も納豆もありません。
朝食付き5500円でしたが、これなら仮に同じ値段でも
朝食なしにしてコンビニで好きなものを
食べればよかったと思われました。
いちおう平らげて、とっとと出発。
香焼から伸びる伊王島大橋。
今回、キリがないので離島には足を延ばすまいと
思っていましたが、橋の姿が美しいので
半ばまで進んでから引き返しました。
三菱の造船所を眺めつつ北上。
ほどなくして、初日にも渡った女神大橋が見えてきます。
今日は、初日とは逆に東側から女神大橋を渡り、
長崎市街には入らず西彼杵半島を経て
佐世保をめざす予定。
昨日、宿探しに苦労したので、
すでに佐世保駅前のホテルを取っておきました。
西彼杵半島の西岸を走るので、
佐世保までの距離は100km。まあ大丈夫でしょう、と
淡々とペダルを回していくと……
女神大橋の下ですっころんでしまいました。
国道の交通量が多く、ちょうど広めの歩道があったので、
そちらへ移ろうとしたら、わずかな段差に前輪を取られて横転。
ちゃんと段差の存在は意識してたのですが、
急に前輪がグリップを失った感じ。
なんにせよ、倒れたのが歩道側で幸い。
車道側に倒れていたら、こうしてブログなど
書けなかったでしょう。
歩道で呼吸を整え、自転車の確認。
左側に倒れたので変速機などにダメージはなく、
めだった傷もありません。
ほっと安心すると、体が痛い。
特に左手。転倒時に手のひらをついたと思われ、
だんだん腫れてきます。
なんとか女神大橋を渡ったものの、
次第にハンドルを握るのすら苦痛になるほど
左手が痛んできました。
特に変速操作などすると泣きそうなほど痛く、
なかば押し歩くことに。
これでは佐世保まで走るなど到底無理。
幸い、女神大橋から長崎の中心市街は近く、
長崎駅も徒歩圏内。
今日は輪行しよう……そう決めて進んでいくと
大きな斎場のとなりに整形外科がありました。
整形外科に飛び込んで「自転車で転びまして……」と
伝えたら、ほどなくして診てもらえました。
触診で「いた」と声をあげたら、
レントゲン撮影。角度を変えて5枚くらい。
「8割がた捻挫だと思いますが、
舟状骨が折れてるかもしれません。そこが折れてても
初診でわかるのは3割以下なんですよ」
と、妙に数値的な解説をしてくれた医師。
手の骨は複雑らしいです。
痛みを抑えるため、手のひら側を
ギプス状に固めてくれました。
「自転車で来てる? どうするの?」
「鉄道に乗ろうかと」
「ああ、分解できるのね。そういえば新幹線もあるね」
「はい、それに乗ってきました。速いですね」
「痛みが続いたら家の近くで見てもらってください」
「はい、ありがとうございました……」
長崎に来てから、人とまとまった会話を
したのはこれが初めてでした。
いずれにしろ、サイクリングは強制終了。
長崎駅まで押し歩き、輪行支度。
いつもの3倍は時間がかかりました。
そして、佐世保行きの快速列車に乗りました。
もういっそのこと東京に帰ろうかとも思いましたが、
医師の手当のおかげで痛みがうすらいだことと、
せっかく取った佐世保の宿がもったいないので、
あと1日だけ旅を続けることにしました。
佐世保へ向かうJR大村線は海沿いを走り、
車窓がすばらしいです。
2時間ほどで佐世保駅に到着。
JRの駅としては日本最西端。
到着が14時を過ぎており、さすがにお腹が減ってきました。
駅前のビジネスホテルに輪行袋をあずけ、
まずは腹ごしらえ。
佐世保バーガー。
こうなったらサイクリングとは別の
楽しみを見出すしかありません。
海上自衛隊の佐世保史料館。
7階から基地方面を遠望。
建物にさえぎられて部分的にしか見えませんが、
米軍の強襲揚陸艦「アメリカ」がいました。
展示は模型や解説パネルが中心で、
現物は制服や備品など小物が多いです。
潜水艦まるごと一隻展示している
呉のような派手さはありませんが、幕末から日清日露、そして
太平洋戦争、今日に至る海自の役割まで、通史的に
学ぶことができる施設です。入館は無料。
米軍基地の入り口。
いい加減に返せといいたくなりますが、
いまの国際・国内状況では無理なんでしょうね。
道行く外国人はたいていガタイがよく、
誰一人マスクをつけてません。
日本一長いアーケードと呼ばれる佐世保の商店街。
一般的には大阪の天神橋筋が最長といわれますが、
基準によっては佐世保がいちばんらしいです。
「時雨」がいました。
呉の「雪風」と並び称される
幸運の駆逐艦(の「艦これ」)。
佐世保で取れたホテルは
慣れ親しんだ東横イン。どこでもまるで設備が同じで、
既視感しかありません。
作ったタイミングで設備が変わりそうなものですが、
統一しているのがすごいなと思います。
ちなみに、残室1の状態で予約できたので、館内は満員の様子。
洗濯機なども埋まっていて、
空くタイミングを狙って何度も部屋と往復……。
コロナがいいとは思いませんが、どこへ行っても
乗り物や宿や観光スポットがガラガラな状況は、
自分のような気ままな旅には最適でした。
それに慣れてしまったので、反動需要と
旅行支援が相まった昨今の状況は気が休まりません。
明日はおうちへ帰りましょう……。
迎えた六日目。
ホテルの朝食は6時30分から長蛇の列。
そんなのは無視して、松浦鉄道に乗り込みます。
これも乗ってみたかったローカル線です。
佐世保から平戸、松浦、伊万里、有田と、
北松浦半島をぐるっとめぐる路線。
もとは国鉄だけになかなか長大。
二つ目の佐世保中央駅と、その次の中佐世保駅の距離は
たった200m。日本一短い駅間距離だそうです。
学生さんが多く、席が埋まって立っている人も。
しかし、江迎鹿町駅と末橘駅で全員が降り、
その後は自分一人の貸切。
乗った列車の終着は、たびら平戸口駅。
日本最西端の駅を初訪問。
これで最北、最東、最南を含め、
日本における四隅の駅を訪れたことになりました。
写真の看板にも注釈がありますが、
沖縄本島の「ゆいレール」はモノレールなので、
一般的な鉄道とは別扱い。
国鉄時代そのままと思わせる
年季の入った駅舎。
駅猫。
駅舎内にある「鉄道博物館」と「鉄道むすめ」。
松浦鉄道のあゆみを紹介。
10分ほどで見学終了し、あとは小一時間列車待ち。
伊万里行きに乗車。
近代的な伊万里駅。佐賀県です。
ここは以前のサイクリングで訪れたことがあります。
次の有田行きは30分後。
同じ松浦鉄道に乗り継ぐのに、妙に時間がありますが、
自転車に乗れずヒマなので、どんとこいです。
観光センターを兼ねた駅舎には食堂もあり、
あたたかい肉うどんをいただきました。
伊万里駅は行き止まりの頭端式ホーム。
すべての列車が止まります。3編成が揃うとなかなか壮観。
「ゾンビランドサガ」のおつまみセットを買って
有田行きに乗車。
有田駅でJR九州の博多行き特急に乗り換え。
博多駅で新幹線に乗り換え。
うっかりすると熊本へ行きたくなりますが、
ちゃんと東海道・山陽新幹線に乗りましたよ。
こうして、行きも帰りも新幹線で完結。
ケガをしてしまい、長崎一周という壮大な夢は
夢のままに終わりましたが、またいつか……。
後記
幸い、左手の骨に異常はないようで、
すくすく快復しております。