こんにちは、田村です。
先の週末は、木曽へ出かけ、
「昭ちゃんメモリアルラン」に参加させていただきました。
名古屋のサイクリングクラブである
「サイクリストクラブはづき」の代表を長く務め、
去る5月に76歳で亡くなられた鈴木昭一さんの
追悼ランです。
鈴木昭一さんのご面識を得たのは、
4年ほど前でした。
当時、トーエイの写真集を作っており、
鈴木昭一さんのお力を借りて、
たくさんの素晴らしいトーエイ車を撮影させていただきました。
また、その際にお願いして、
「はづき」に入れていただきました。
クラブ活動にはほとんど参加できてないのですが、
トーエイオーナーズミーティングや御前崎オフで
鈴木昭一さんにお会いするたび、
いろいろとお話を聞かせていただきました。
まだ国道1号が未舗装だった頃に、
名古屋から東京まで走ったエピソードなど、
楽しそうに話してくれたのが思い出深いです。
今年の2月にも、御前崎で一緒に走らせていただいたので、
5月に訃報を受け取ったときは、本当に驚きました。
そんな鈴木昭一さんと「はづき」が
何十回も訪れてきた木曽の開田高原で、
追悼ラン「昭ちゃんメモリアルラン」が開かれることになり、
自分も参加させていただいたのです。

名古屋から中央本線に乗って、
集合場所の木曽福島駅をめざします。
新宿〜塩尻の「東線」は平凡な車窓が続く中央線ですが、
名古屋〜塩尻の「西線」は、木曽川に沿って山間を進むので、
車窓に変化があって楽しいですね。
もっとも、東京から木曽福島駅へ行くためには、
長野回りのほうが安いのですが、
時間的な都合で名古屋経由を選びました。
おかげで、寝覚の床などの奇勝を
車窓から眺めることができました。

9時半に木曽福島駅へ着くと、
ほとんどの方がすでに到着済み。
自転車を組み立て、さっそく走り出します。
開田高原まではほんの30kmほどですが、
有名な峠が待ち受ける好ルートです。

開田高原を共にめざしたのは
20人ほどでしょうか。
曇り予報でしたが、青空を望む好天となりました。


ほどなくして旧道に入ると、
峠までの登りがはじまります。

ちょっと走ると唐沢の滝。
この道は飛騨街道と呼ばれ、
日本海と信州を結んできた歴史ある道なのです。
初めてこの道を走ったのは、
3年前に参加した「はづき」の合宿でした。

地蔵峠に到着。標高1335m。
全国にたくさんある「地蔵峠」のなかでも、
ここ木曽の地蔵峠がいちばん趣があるのでは
ないでしょうか。

昭一さんのツーリズムも登場。
この自転車は、1970年に昭一さんが
初めて作ったトーエイ車です。
ご自身の分身のような存在だとおっしゃってました。
その偏芯タイプの変速レバーや千鳥は、
ご友人のI先生が手作りされたもので、
その後、東叡社でも参考にされたものだとか。

Aさんの現代的なスポルティーフ。

奥様の手縫いだという
ボトルカバーが素敵です。

地蔵峠を降りれば開田高原。

下りの途中で、御岳山を望む
ポイントがあるのですが、あいにくと
山頂は雲の中。今回で4度目くらいの訪問ですが、
山頂が見えたことは一度しかありません(泣)。

開田の入り口に立つ灯籠と道祖神。
こうした情景にはスチールフレームの
ツーリング車がこのうえなく似合います。

末川で昼食。
素朴な味わいのおそばをいただきます。
サイクリストやライダーは、二枚盛りの値段で
三枚でてきます。ペロッと完食し、次の峠をめざします。

国道361号の九蔵峠。
ここも御岳山の展望所なのですが、
やはり雲のなかです。

はるか昔、ここは海だったそうです。
折れ曲がった地層が露出してます。
さて、このあたりで少々のにわか雨に遭ったのですが、
ツーリングではポンチョを使う方が多いです。
自分はセパレートしか使ったことがないので……。

Kさんのポンチョを借りて
試用してみました。RSA製のポンチョで、生地が
非常にしっかりしてます。やや重いですが、そうでないと
風にすぐあおられ、使いにくいそうです。

登りでは、蒸れが少なく快適です。
一方下りでは、速度が30kmを超えると、
風をはらんで膨らみ、少々気になります。
風雨や寒さから体を守る能力は、
圧倒的にセパレートタイプのレインウェアが
優れていると思いましたが、ポンチョの長所は、
脱ぎ着が楽なことですね。かぶるだけですから、
自転車にまたがったままでも可能です。
ちょっと欲しくなりました。
しかし、こんなによい道を走ってるのに、
装備のよしあしが気になって、ヒト様のを
お借りしてまで試したくなってしまうのは、
根がオタクだからなんでしょうね。

九蔵峠を下れば、本日の宿が待つ西野です。
開田のだいぶ奥まった場所です。

瀟洒な旅館、やまかの湯。

記念のベルをいただきました。

宴会場には、昭一さんと「はづき」の歩みを写した
パネルが展示されていました。
「はづき」が発会したのは1965年。
来年で50周年です。

30名以上があつまり、黙祷と献杯。

昭一さんが使っていた
5万図のコピーが貼られました。
走った道を塗った赤線で、
愛知県内が真っ赤になりそうなほどです。
すばらしい仲間に出会わせてくれた昭一さんに
あらためて感謝しつつ、しのびつつ、
宴は夜遅くまで続きました。